『お父さんみたい

energyelaine

2021年07月19日 15:41

『お父さんみたい、とか思っているんだろう?』

 修平さんの声もまた、ほんの少し笑みを含んでいる。

「心配してくれるお父さんを知らないけれど、きっとそんな感じでしょうね」

『そうかもしれないね。だけど、お父さんは嫌だな』

「そうですよね。ごめんなさい」

『うん。俺も男だからね』



 男……?



 修平さんらしくない台詞に、スマホをじっと見つめる。

『じゃあ、また』

「あ……、はい。おやすみなさい」

『おやすみ、楽』

 彼から電話を切られ、スマホのディスプレイが勝手にホーム画面に戻る。

 誕生日に悠久から貰ったバラの花束と指輪の写真。

 指輪はケースにしまって今も持っているけれど、ピンクのバラはとうにドライフラワーになっている。



 今の私みたい……。



 鮮やかな色で咲き誇っていた頃は、悠久のそばで愛されて幸せだった。

 色を失い、吹けば飛ぶような脆さでも、花であろうと必死にしがみつく姿は、滑稽だ。



 この部屋を出るべきかもしれない。



 悠久が追いかけてきてくれると期待して居座り続けては、何のために身を裂かれる思いで別れたかわからない。

 翌日。

 私は単身者向けのマンションを契約した。

 他に頼る人がいなかったので、修平さんに保証人になってもらって。

 オートロック付きの五階建ての三階で、1LDK。八畳のリビングに、六畳の寝室。私一人には十分な広さ。

 ドライフラワーは悠久と暮らした部屋に置いてきた。 三連休。

 台風のせいで飛行機が飛ばなかった。

 テレビ中継ではアナウンサーが雨具を着て、風に煽られながら川が氾濫しそうだと伝えている。

 打って変わって、札幌は晴天だ。

 今のままの進路では、明後日の夜には札幌も暴風域に入るらしい。

 修平さんからは、予定を二週間後に変更すると電話があった。

 浩一くんが夏休みに入るという。

 最後に悠久に会ってから、二か月が過ぎていた。

 最近の私は、インターネットで仕事を探したり、近所のカフェ巡りをしたりして過ごしていた。

 修平さんの会社での事務と定食屋さんしか職歴がない私は、不動産会社の事務とチェーン店のカフェの面接を受けたが不採用だった。

 選り好みする気はないけれど、出来れば長く勤めたいから、手当たり次第に申し込むつもりはない。

「仕事を探してるんですか?」

 頭上からの声に顔を上げる。

 確かに私は、求人誌を見ていた。

「あ、すみません。カフェモカをお持ちしました」

 大学生くらいの男性店員が、爽やかな笑顔で雑誌の向こうにカップを載せたソーサーを置く。

 この店はカフェと言うよりも喫茶店。

 店内にはジャズが流れ、コーヒーの香りと、豆を挽く少しだけ騒々しい機械音。

 店の名前は『エデン』。

「近くに住んでるんですか?」

 ふわふわの泡を眺めていたら、店員さんが両手でトレイを抱えて言った。

「最近、よく来てくれますよね」

 屈託のない微笑みで聞かれ、思わず口ごもる。

 このお店に来るのは三度目だけれど、話しかけられたのは初めて。

 店内には他に、新聞を広げている七十代くらいの男性だけ。

 彼は常連の様で、お店の人と親し気に話しているのを見たことがある。

「こんなレトロな店に若い女の人が一人で来るのが珍しくて、気になってたんです」と少し首を傾げた店員さんのサラサラの髪が、揺れた。

 服装次第では女の子にも見える。

 綺麗な人だなと思っていたら、店員さんの横にふっと背の高い男性が近づいた。多分、このお店のオーナー。

 私と同じか少し年上に見える。

 大学生の店員さんと並ぶと、十センチは背が高い。

 私と並んだら、きっと大人と子供の差だろう。

「悪かったな、古くて」と、店員さんを睨む。

「古いなんて言ってねーじゃん。レトロっつったんだよ」と、店員さんが少し慌てて弁解しながらカウンターに戻って行く。

「うちの者がすみません。ホットサンドをお持ちしました」

「ありがとうございます」

 私は雑誌を閉じて、ソファとバッグの間に差し込んだ。

 オーナーさんは開いた私の正面にホットサンドのお皿を置く。

「すみません。あいつの言った通り、若い女性のお客様は珍しいので、興味本位で声をかけたんだと思います。店内ナンパ禁止ってきつく言っておきますので」