『お父さんみたい、とか思っているんだろう?』
修平さんの声もまた、ほんの少し笑みを含んでいる。
「心配してくれるお父さんを知らないけれど、きっとそんな感じでしょうね」
『そうかもしれないね。だけど、お父さんは嫌だな』
「そうですよね。ごめんなさい」
『うん。俺も男だからね』
男……?
修平さんらしくない台詞に、スマホをじっと見つめる。
『じゃあ、また』
「あ……、はい。おやすみなさい」
『おやすみ、楽』
彼から電話を切られ、スマホのディスプレイが勝手にホーム画面に戻る。
誕生日に悠久から貰ったバラの花束と指輪の写真。
指輪はケースにしまって今も持っているけれど、ピンクのバラはとうにドライフラワーになっている。
今の私みたい……。
鮮やかな色で咲き誇っていた頃は、悠久のそばで愛されて幸せだった。
色を失い、吹けば飛ぶような脆さでも、花であろうと必死にしがみつく姿は、滑稽だ。
この部屋を出るべきかもしれない。
悠久が追いかけてきてくれると期待して居座り続けては、何のために身を裂かれる思いで別れたかわからない。
翌日。
私は単身者向けのマンションを契約した。
他に頼る人がいなかったので、修平さんに保証人になってもらって。
オートロック付きの五階建ての三階で、1LDK。八畳のリビングに、六畳の寝室。私一人には十分な広さ。
ドライフラワーは悠久と暮らした部屋に置いてきた。 三連休。
台風のせいで飛行機が飛ばなかった。
テレビ中継ではアナウンサーが雨具を着て、風に煽られながら川が氾濫しそうだと伝えている。
打って変わって、札幌は晴天だ。
今のままの進路では、明後日の夜には札幌も暴風域に入るらしい。
修平さんからは、予定を二週間後に変更すると電話があった。
浩一くんが夏休みに入るという。
最後に悠久に会ってから、二か月が過ぎていた。
最近の私は、インターネットで仕事を探したり、近所のカフェ巡りをしたりして過ごしていた。
修平さんの会社での事務と定食屋さんしか職歴がない私は、不動産会社の事務とチェーン店のカフェの面接を受けたが不採用だった。
選り好みする気はないけれど、出来れば長く勤めたいから、手当たり次第に申し込むつもりはない。
「仕事を探してるんですか?」
頭上からの声に顔を上げる。
確かに私は、求人誌を見ていた。
「あ、すみません。カフェモカをお持ちしました」
大学生くらいの男性店員が、爽やかな笑顔で雑誌の向こうにカップを載せたソーサーを置く。
この店はカフェと言うよりも喫茶店。
店内にはジャズが流れ、コーヒーの香りと、豆を挽く少しだけ騒々しい機械音。
店の名前は『エデン』。
「近くに住んでるんですか?」
ふわふわの泡を眺めていたら、店員さんが両手でトレイを抱えて言った。
「最近、よく来てくれますよね」
屈託のない微笑みで聞かれ、思わず口ごもる。
このお店に来るのは三度目だけれど、話しかけられたのは初めて。
店内には他に、新聞を広げている七十代くらいの男性だけ。
彼は常連の様で、お店の人と親し気に話しているのを見たことがある。
「こんなレトロな店に若い女の人が一人で来るのが珍しくて、気になってたんです」と少し首を傾げた店員さんのサラサラの髪が、揺れた。
服装次第では女の子にも見える。
綺麗な人だなと思っていたら、店員さんの横にふっと背の高い男性が近づいた。多分、このお店のオーナー。
私と同じか少し年上に見える。
大学生の店員さんと並ぶと、十センチは背が高い。
私と並んだら、きっと大人と子供の差だろう。
「悪かったな、古くて」と、店員さんを睨む。
「古いなんて言ってねーじゃん。レトロっつったんだよ」と、店員さんが少し慌てて弁解しながらカウンターに戻って行く。
「うちの者がすみません。ホットサンドをお持ちしました」
「ありがとうございます」
私は雑誌を閉じて、ソファとバッグの間に差し込んだ。
オーナーさんは開いた私の正面にホットサンドのお皿を置く。
「すみません。あいつの言った通り、若い女性のお客様は珍しいので、興味本位で声をかけたんだと思います。店内ナンパ禁止ってきつく言っておきますので」